コスモトラベルで行く

2014年7月3日
第E回
(1)
生野銀山(菊の御門柱)代官所門鉱山資料館坑道口
坑道内散策=井筒屋(昼食)旧生野鉱山職員宿舎=
銀山湖(車中)黒川ダム大明寺黒川温泉美人の湯


2014年2月5日から始まった”銀の馬車道” も.6回目
一応ゴールの生野へ到着ですが…生憎の です。


菊の御門柱は、明治9年(1876)に生野製鉱所の正門して設置されたものです。


菊の御門前には”一円電車” の展示が・・・
生野銀山と共に官営となり、1896年(明治29年)に三菱合資会社に払い下げられた
明延鉱山の従業員の通勤用として運行され、乗車料金が1円なので「一円電車」の
名前で親しまれたトロリー電車で、正式名称は”明神電車” です。




生野銀山(生野鉱山)
生野鉱山は兵庫県朝来市に開かれていた戦国時代から近代にかけての日本有数の銀山です。
坑道の総延長は350km以上で、深さは880mの深部にまで達しています。
●天文11年(1542年)、但馬国守護大名・山名祐豊により、石見銀山から採掘・
精錬技術を導入し、本格的な採掘が始まりましたた。
●織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった時の権力者は直轄地とし、佐渡金山、
石見銀山とともに重要な財源となります。
●江戸時代に入ると生野奉行が置かれ、第三代将軍・家光の頃に最盛期を迎え、
月産150貫(約562kg)の銀を産出した。宝永2年(1705年)には御所務山という
最上級の鉱山に指定されています。
●明治元年(1868年)から日本初の政府直轄運営鉱山となり、鉱山長・朝倉盛明を
筆頭として、お雇いフランス人技師長ジャン・フランシスク・コワニらの助力を得て、
先進技術を導入し近代化が進められました。
●明治22年(1889年)から宮内省所管の皇室財産となり、
●明治29年(1896年)に三菱合資会社に払下げられ、国内有数の鉱山となりましたが
●昭和48年(1973年)3月22日、資源減少による鉱石の品質の悪化、坑道延長が長く
なり採掘コストが増加し、山ハネなどにより採掘が危険となったことから、閉山し、
1200年の歴史に幕を閉じます。

復元された”代官所門” が、入場料金所となっています。
鉱山資料館

写真正面は”金香瀬坑口” の入り口で、左横の石段を登ると、露天掘跡
が見られる”旧露頭群跡ですが、雨の日は蛭が多いということで×

金香瀬坑口前の不動の滝と・・・柿色の橋は、鉱山出口となっています。





では、金香瀬坑道内部へ



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