2007年5月4日
澤熊講師と歩く湖北の観音さま

(湖北の仏教文化と伊香三十三観音巡りウォーク)
〔第1回〕


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大阪梅田茶屋町名神=北陸道木之本IC=観音の里・歴史民俗資料館渡岸寺観音堂
昼食処「ラ・ピラミッド」木之本・地蔵坂田上山観音寺木之本地蔵院北国街道
長亀山西光寺保延寺観音堂己高山観音寺雨森芳州庵北陸道=名神
大阪

観音様一口メモ

観音像には、基本となる聖観音の他、変化観音と呼ばれるさまざまな形の像がある。阿弥陀如来の脇侍としての観音と異なり、
独尊として信仰される観音菩薩は、現世利益的な信仰が強い。そのため、あらゆる人を救い、人々のあらゆる願いをかなえると
いう観点から、多面多臂の超人間的な姿に表されることが多いのです。


六観音
真言系では聖観音十一面観音千手観音馬頭観音如意輪観音准胝観音を六観音と称し、天台系では准胝観音の
代わりに不空羂索観音を加えて六観音としています。
六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもので、地獄道−聖観音、
餓鬼道−千手観音、畜生道−馬頭観音、修羅道−十一面観音、人道−准胝観音、天道−如意輪観音という組み合わせに
なっています。


三十三観音
法華経には、観世音菩薩はあまねく衆生を救うために相手に応じて「仏身」「声聞身」「梵王身」など、33の姿に変身すると説か
れています。西国三十三所観音霊場三十三間堂などに見られる「33」という数字はここに由来します。「三十三観音」とは、
この法華経の所説に基づき、近世の日本において信仰されるようになったものです。




資料館にて湖北観音仏の基礎知識を教わり、隣の渡岸寺へ…
我々の湖北観音巡りは渡岸寺の十一面観音様から始まります


高月町立観音の里
歴史民俗資料館


慈雲山光眼寺〔渡岸寺
伊香郡高月町
十一面観音・国宝
天平時代、越の大徳泰燈によって開かれた慈雲山光眼寺は、その後向源寺の所属となり「渡岸寺の観音堂」と呼ばれています
渡岸寺の観音さまは国宝、撮影は禁止です。この渡岸寺は過去に何度か訪れておりますので、其の時の写真を…
この菩薩さまも、その例に洩れず永らく土中に埋められ幾多の戦火をくぐり抜けて来られたそうです。


昼食は「ラ・ピラミッド」・・・弁当を覚悟していたけど、やっぱ〜こっちの方がエエわー
http://www.kitaoumi.com/shop/pyramid.html

昼食後はバスにて木之本町へ・・・地蔵坂をチョッと歩いて・・・


田上(神)山・観音寺
〔聖観音〕
伊香郡木之本町


田上山観音寺は戦国時代・賤ヶ岳合戦のおり、羽柴秀長の本陣が置かれた田上山を背景にした、入母屋造りの本堂です。0


木之本地蔵院
木之本の地蔵様は眼の仏様、延命息災の仏様として古くから信仰を集めてきました
地蔵堂に祀られる本尊の地蔵菩薩は秘仏ですが、境内にはご本尊と同じお姿をした
高さ6メートルの地蔵大銅像のがあります。本尊のお写しで100年前に開眼されました


北国街道
木之本地蔵からは、昔ながらの建物が落ち着いた空間を生み出している北国街道を進みます。



長亀山西光寺
〔十一面観音〕
木之本町田部
西光寺の田部観音堂のご本尊・十一面観音は、伝教大師〔最澄〕の御作と伝えられています


保延寺観音堂
〔千手観音〕
今日はイイお天気です、レンゲ畑の向うに小さな祠が見えてきました。
村の人が 三名、我々の到着を 待っていてくれました。有り難いことです。

ご本尊は 20センチほどの、小さな可愛い観音さまでした。


己高山観音寺
〔千手観音〕
高月町雨森
金色に輝く見事な観音さまです。明治の始めに大火に遭い、その後・比叡山から招来し、祀られました。
この観音さまは、脇手の一対を頭上高く挙げ、組み合された手の上に、小坐仏を戴く、珍しいお姿です。




先の己高山観音寺の本堂の裏に焼けたご本尊の灰塚があり、その前には、雨森家の墓所が・・・


芳州庵
雨森(あめのもり)の集落は民家の廻りに水路を巡らし、水車を回し草花を植えたキレイな村です。

本日の行程は無事終了しました。時あたかも端午の節句の前日、沢山の鯉幟が、帰途についた我々を見送ってくれました。
次回は6月9日、今日のように良いお天気に恵まれますように・・・




伊香三十三観音様の朱印帳