2008年12月4日
      澤熊講師と歩く湖南の観音さまH〜2

湖南の秘仏・十一面観音

昨年に続き2回目の湖南

2008年度・最後の紅葉狩りを兼ねてのお参りです。


昨年は
常楽寺=善水寺=永照寺=(昼食)信楽陶芸村=大岡寺=櫟野寺・・・でした。

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そして今年は
常楽寺=長寿寺=正福寺=善水寺=(昼食)サントピア水口=飯道寺=櫟野寺


 
湖南三山のひとつ
 阿星山・常楽寺
〔滋賀県湖南市西寺6丁目5-1〕
 寺伝では、奈良時代に聖武天皇の勅願により、良弁紫香楽宮鬼門を封じるために
 創建したという。平安時代には長寿寺とともに歴代天皇の尊崇が厚く、阿星山五千坊と
 呼ばれるほどの天台仏教園を形成しました。




湖南三山とは
滋賀県湖南市の
常楽寺長寿寺善水寺の総称で、
三山共に本堂が
国宝に指定されている古刹です。



 
湖南三山のひとつ
 阿星山・長寿寺
〔滋賀県湖南市東寺5-1-11〕
 和銅年間(708〜715)良弁は紫香楽宮の鬼門を封じるため、長寿寺常楽寺を開基しました。
 2つの寺は位置関係からそれぞれ東寺西寺と呼ばれています。その後平安時代にかけて
 湖南市(旧・石部町南部)の阿星山の麓には多くの寺が建ち並び、「阿星山五千坊」と呼ば
 れるほどの天台仏教圏を形成するようになりましたが、現在は、そのおもかげを留めるのは、
 常楽寺と長寿寺のみです。






正福寺
〔滋賀県湖南市岩根3518〕
この寺は、飛鳥時代聖徳太子によって創建されたと伝えられる。当初は天台宗に属していたが
1681年(天和元年)江戸幕府5代将軍徳川綱吉の援助により再興され、現在の臨済宗の寺院となった。





 湖南三山のひとつ
 岩根山・善水寺
〔滋賀県湖南市岩根3518〕
 阿星山(693.1m)の北東麓にあり、常楽寺の西寺に対して東寺と呼ばれる天台宗の古刹です。
 奈良時代後期、聖武(しょうむ)天皇の勅願によって良弁が創建したと伝えられています。
 平安時代初めに中興されたのち、一時衰え、鎌倉時代初期には源頼朝が、室町時代には
 足利将軍家が祈願所として諸堂を造改修したといわれています。
 本堂に向かって左後方にはかつて三重塔があって、西寺と同じ伽藍配置であったといわれてい
 ます。




 〔昼食〕サントピア水口





 金寄山・飯道寺
はんどうじ
〔滋賀県甲賀郡水口町三大寺1019〕
 現在は住職不在のお寺で、村人がお守りしてます。
 よって収蔵庫の仏像拝観は、事前の予約が必要です。
 元名は本覚寺
 「本覚寺」は明治11年に同じ字の常福寺と合併し、その本尊「阿弥陀如来像」「十一面観音像」
 「地蔵菩薩像」の三体を「本覚寺」に移しました。さらに、明治25年に明治維新の際、廃仏毀釈で
 廃寺となった山岳信仰で有名な「飯道寺」(和銅元年708*行者が飯道山上に開基)の法
 灯を引き継ぎ、「飯道寺」と寺号を改めました。「木造阿弥陀如来坐像」(平安時代)と「木造十一
 面観音立像」(平安時代)と「木造地蔵菩薩」(鎌倉時代)の3体が国重要文化財に指定されています。

天台宗、金寄山。和銅年間(708〜714)開創。かつての飯道山三大寺(旧飯道寺・道徳寺・薬王寺)
の末寺として、不動堂を建てたのが草創。(旧飯道寺は明治維新後に廃寺)飯道山(664m。)は
山岳信仰の拠点で、甲賀忍者の修練場であったといわれている。平安初期に飯道神が祭られ、
仏教と習合して飯道寺が開創。平安末期には比叡山の末寺となり、15世紀には修験道寺院として
高野山と並ぶ当山派の先達寺院であったと伝わっています。





櫟野寺
らくやじ
〔滋賀県甲賀市甲賀町櫟野1377 〕
天台宗の寺院で、本尊は十一面観音で、櫟野観音いちいのかんのん)とも称されています。

この寺は、792年(延暦11年)この地を訪れた最澄が十一面観音を安置したのに始まると伝えられ、
806年(大同元年)坂上田村麻呂が堂宇を建立したという。
木造十一面観音坐像(本尊) は坐像で、像高312cmの巨像・平安時代後期の作。
かつては33年に一度のみ開扉される秘仏でありましたが、現在は春秋などに特別公開があります。


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寺名の由来でもある櫟の木〔いちいのき〕
境内には、樹齢2500年という櫟の老木があったという話ですが、今は根跡を残すのみです。



 
次回は 若狭小浜の観音様