2007年12月17日
     澤熊講師と歩く湖南の観音さまH

湖南の秘仏・十一面観音

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大阪 梅田茶屋町8:00発 名神=栗東IC =石部・常楽寺=甲西・善水寺
三雲・永照寺(昼食)信楽陶芸村水口・大岡寺=甲賀・櫟野寺
名阪道路 西名阪=松原IC=阪神高速=なんば=大阪梅田




石部・常楽寺
阿星山麓にある天台宗のお寺で、奈良時代に良弁が開きました。
古代の都はすべてお寺と結びつきがあり、奈良の都に東大寺や西大寺があるように
甲賀の紫香楽宮の西寺が常楽寺、東寺が長寿寺にあたります。
本堂(南北朝時代)と三重塔(室町時代)は、共に国宝に指定されています。

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本堂の中央の厨子には秘仏の木造千手観音坐像が安置され、両側に二十八部衆立像と
風神・雷神の30体がずらっと並んだお姿は壮観ですが、風神と二十八部衆の内の一体が
盗難にあい、未だお戻りになっていないのが残念です。




甲西・善水寺
中大兄皇子(天智天皇)を父に持つ元明天皇(阿閉皇女)の時代に草創され、伝教大師最澄
によって中興されました。781年に即位した桓武天皇の病が当寺の清水で治ったので、寺号を
賜ったと伝えられています。現在もその清水は絶えることなく、湧き出ています。
荘厳な本堂は、国宝に指定されています。

寺宝は、薬師三尊像、誕生釈迦仏像、金剛力士立像二体、四天王立像・その他多数




三雲・永照寺
他の著名な寺院と同様、元亀2年(1572)信長の兵火に遭い、三雲城と共に焼き払われました。
更に時代はくだって寛永5年(1628)甲賀五十三家の雄、三雲氏の外護を受け、体誉祐本上人
が再建しましたがその後焼失・・・
宝永2年(1705)従一位桂昌院殿より御下賜金、御朱印、仏餉田等の寄進あり、山門等を復元
その後宝暦12年(1762)に当寺十世立誉忠覚上人坦信徒と共に総力をあげて寺を再建、今日に
至っています。
像高103cmの木造十一面観音立像は平安時代の作です。



(昼食)信楽陶芸村
日本六古窯の一つで我が国最古の陶器産地・信楽の陶芸村で昼食を頂きました。
(六古窯とは・・・常滑・瀬戸・越前・丹波・備前と信楽です。)

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信楽焼の狸の置物の歴史は比較的浅く、明治時代に陶芸家の藤原銕造氏が作ったものが最初と言われています。

縁起物として喜ばれ、狸が「他を抜く」に通うことから商売繁盛と洒落て店の軒先に置かれることが多い。福々とした狸
が編み笠を被り少し首をかしげながら右手に徳利左手に通帳を持って突っ立っている型が定番となっています。




水口・大岡寺
(だいこうじ)
白鳳十四年(六八六)僧行基が諸国行脚に際し、大岡山の山頂に白彫の十一面千手観世音像を
安置し創建。天正二年(一五七四)の兵火で、堂字は焼失し、東之坊(本坊)を残すのみとなりました。
天正十三年(一五八五)に、中村一氏が岡山城の築城にあたり、東之坊を地頭に移転し、大岡山山頂
に城郭を構築しましたが落城後、享保元年(一七一六)に至り、時の住職寂堂法印が再び現在の地に
堂字を再建しました。以後、水口藩主加藤氏歴代の祈願所となりました。

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大岡寺のご本尊は十一面観世音菩薩。秘仏なのでご尊顔を拝することは出来ませんでした。
せめてお写真のお姿でもと・・・捜しましたが・・・何処にも・・・ない・ナイ




甲賀・櫟野寺
福生山自性院櫟野寺(いちいの観音)は桓武天皇の延暦十一年に比叡山の開祖伝教大師様が
根本中堂の用材を獲る為に甲賀郡杣庄においでになりました時、霊夢を感じて此の地の櫟の
生樹に一刀三礼の下彫刻安置されました。日本最大坐仏十一面観音菩薩が御本尊様です。