2007年9月17日
シリーズ
万葉集を歩く
第2回
 

壬申の乱と女性たち
鵜野讃良皇女(持統女帝)

大阪梅田=(南阪奈)=世尊寺=吉野歴史資料館
宮滝吉野離宮跡・宮滝桜木神社宮滝醤油店=
大和下市『弥助』昼食=桜井・舒明天皇陵石位寺
=大和郡山・額安寺=郡山IC=(西名阪)=大阪梅田



  660年代後半、都を近江宮へ移していた天智天皇は、同母弟の大海人皇子を皇太子に立てていましたが
天智天皇10年(671年11月26日)、自身の皇子である大友皇子を
太政大臣につけて後継とする意思をみせ
始めました。その後、天智天皇は病に臥せます。 大海人皇子は、大友皇子を皇太子として推挙し自ら出家
を申し出、吉野宮(奈良県吉野)に
鵜野皇女(持統女帝)と共に下りました。

今回は、其の吉野へ・・・・・・大海人皇子天武帝と鵜野皇女持統帝の足跡を辿りました。





古人大兄皇子や大海人皇子出家の寺
比曽寺跡(世尊寺)
古くは吉野寺、比蘇寺、現光寺、栗天奉寺とも呼ばれ、聖徳太子が建立した49ヶ寺のうちのひとつとされています。
役行者が金峯山入峯前にこの寺に篭り修行したことから、行者道分道場ともいいます。
境内には東西両塔跡である礎石が残り、日本書紀の記録や寺に残されている瓦などからも、少なくとも 飛鳥時代
(7世紀後半)には存在していたと推測されます。
東西両塔の…東塔用明天皇の為に聖徳太子が、西塔敏達天皇の為に推古天皇が建てたと言われています



世尊寺の山門には
左甚五郎作といわれる天の邪気(猿?)の彫刻があるとか・・・見逃しました・・・残念です。


吉野歴史資料館
「宮滝遺跡」から出土した縄文、弥生時代の土器や石器などをイラストや写真で解り安く解説し、
また、「吉野離宮跡」に関する資料もあります。



吉野離宮跡
「柴橋」を渡ると吉野町宮滝で、橋のたもとに石碑が建ち、中荘小学校の校庭が見え、校舎の
裏に吉野川流域で最大の「宮滝遺跡」が在ります。ここから出土した縄文時代後期の土器に
わざわざ「宮滝式」の名称が付けられ、また遺跡の北側から飛鳥時代以後〜平安時代初期の
建物跡も発見され、656年女帝斉明天皇が吉野宮を造ると日本書紀に記された吉野離宮
と推定されされています。

672年6月・大海人皇子が近江朝打倒の為ここから出陣し、後で吉野の盟約を行いました。
また、女帝持統天皇は在位9年間に31回吉野へ行幸しました。

 ♪、見れど飽かぬ 吉野の川の 常なめの 絶ゆることなく また還り見む(柿本人麻呂)
 ♪、
み吉野の 象山の際の木末には ここだも騒ぐ 鳥の声かも (山部赤人)
 ♪、
昔見し 象の小河を 今見れば いよよ 清けく なりにけるかも
 (大伴旅人)


桜木神社
万葉の香り高い象(きさ)の小川のほとりに鎮まるこの神社は、大己貴命・少彦名命、それに
天武天皇をお祀りしています。大己貴命・少彦名命は、古くから医薬の神としての信仰が厚く
特に初代紀伊藩主大納言徳川頼信公は、たびたび病気平癒を祈願しています。

境内の真向かいが象山(きさやま)で、高市連黒人がそこで詠んだ歌は
 ♪、大和には 鳴きてか来(く)らむ呼子鳥 象の中山呼びぞ越ゆなる (万葉集巻1−70)



桜木神社
から喜佐谷川に沿って下って来て 喜佐谷川吉野川に流れ込む処が夢の和田
万葉集で吉野川の流れは「たぎつ河内」「夢のわた」「川淀(かわよど)」等と詠まれ、
柿本人麻呂が女帝の持統天皇の吉野行幸に供をして来た時の歌は、
 ♪、山川も 依りて仕ふる神ながら たぎつ河内に 船出せすかも (万葉集、巻1−39)


↑「柴橋」、旧東熊野街道上の橋で、当時は松の丸太を橋桁にしてその上に歩み板を張り、柴垣
欄干を造っていたので鉄橋に架け替えられた今でも「柴橋」と呼ばれます。
又、昔は吉野川の水量も今よりは多く、万葉人達が滝つ河内で船遊びを行い、最高の避暑地でした。
 ♪、毎年(としのは)に かくも見てしか み吉野の 清き河内のたぎつ白波 (万葉集巻6−908)



『弥助』・・・昼食
かつて繁栄を誇った下市の老舗鮎料理屋。吉野川に掛かる千石橋を渡り秋野川に沿った行者街道を
進んだ本町の町並みに…浄瑠璃の三大傑作一つ義経千本桜三段目の切(鮨屋の段)の舞台となった
三宅屋があります。(熊)
正直・今日は万葉集より、この弥助での昼食が魅力・・・と云えば講師の先生に失礼かナ

....
義経千本桜は通し狂言。
二段目の
大物浦や三段目のすし屋
それから四段目の
川連法眼館
断片的に観ておりますが、
通しでの観劇は経験なし。・・・・

この際、
義経千本桜お芝居
勉強し直してみました。 

ココ





舒明天皇陵
(桜井市)
  大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は
  煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は
(万葉集1−2)


石位寺(桜井市)


額安寺(大和郡山)
ココを万葉集屈指の閨秀歌人・額田王のふるさととする説があります。
当時の女性は『年少時居住の地を以って其の名を呼ばれるのを通例』としからである。
こんにち、額安寺の東に推古神社が祀られるのも、推古天皇の幼少名・額田部皇女に
因んでのものであろう。(熊)


持統帝に関するココ