2011年6月26日
伊勢参宮本街道 〔第C回〕
天理〜黒塚古墳〜三輪〜初瀬








大和神社
(おおやまとじんじゃ)
大和国の地主神である大和大国魂[おおやまとおおくにたま]神と、八千戈[やちほこ]神、御年[みとし]神を祭る古社で、『日本書紀』によると、大和大国魂神は天照大神と並ぶ神威があり、初め宮中に祭られていたが三輪山北麓に移され、のちに現在地に遷座したとあります。境内は東西に細長く、古代の幹線道上ツ道[かみつみち]に面して一の鳥居が立ち、樹林に包まれた長い参道を抜けると、明治初頭に改築された社殿が並びます。戦艦大和には同名であることから当社の祭神の分霊が艦内で祀られていました。




長岳寺 五智堂
長岳寺の西方約1km の飛び地境内にあり、その形から傘堂あるいは眞面堂とも呼ばれます。真ん中に太い心柱がありこれによって建物のほとんどの重量が支えられ、心柱上部に四佛の梵字額があり全体で五智如来をあらわしています。






黒塚古墳
奈良県天理市柳本町1118-2
古墳時代初期の前方後円墳である黒塚古墳から1998年に国内最多の三角縁神獣鏡33面、画文帯神獣鏡1面、大量の鉄製刀剣類、U字形の鉄製品などが出土しました。戦国時代には古墳に柳本城を築城、江戸時代織田家が城跡に柳本陣屋を構築し柳本藩藩庁とした所です。





箸墓古墳を過ぎ、
街道は三輪の里へ入ります。
箸墓古墳は、奈良県桜井市纒向遺跡の箸中に所在する箸中古墳群の盟主的古墳であり、出現期古墳の中でも最古級と考えられており、3世紀半ばすぎの大型の前方後円墳です。この古墳を、『魏志』倭人伝が伝える倭国の女王「卑弥呼」の墓とする(邪馬台国畿内説)向きもある。従来、構築年代が3世紀末から4世紀初頭であり卑弥呼が死亡したされる3世紀前半との時期にずれがあるためその可能性は少ないといわれてきたが、最近古墳時代の開始年代を従来より早める説が有力となっており上記の箸墓古墳の築造年代は研究者により多少の前後はあるものの、卑弥呼の没年(248年頃)に近い3世紀の中頃から後半と見る説が有力になっています。
現在は宮内庁により第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命
やまとととひももそひめのみことの墓とされています。