2005年1月28日
シリーズ源平を歩く〔@〕

平清盛の夢のあと、福原京ウォーク
《15キロ》
平清盛は宋、高麗との貿易拡大による西国海洋国家の樹立を
めざし、人工島・経ガ島を築き、兵庫の大輪田の泊整備、今の
神戸港繁栄の祖となっりまた。
又、都を京より兵庫の福原に遷都、神戸発展の恩人として親し
まれています
0
JR兵庫駅近くの南公園に10時集合、
想像以上に多い参加者・683名に係員はウロウロ、出発が30分遅れる
0
川崎重工業の敷地内を・・・  ここでは新幹線の車両も作っているとか
0
0
新川運河と兵庫運河の接合時点にあるのが『清盛塚』です。
清盛塚石造十三重塔で、真ん中に立つのが昭和47年に立てられた平清盛像。
左に立つのが
『琵琶塚』です。
広い幹線道路に面しており、よく目立ちます。
0
翌年(1181年)閏二月、清盛は京で病に倒れ死去その遺骨は、遺言により清盛の愛した福原に葬られたという。
能福寺(兵庫大仏)には、清盛が剃髪出家して浄海入道と名乗ったところであり、境内には立派な 「 相国・清盛の呼称)の墓 」 があるが、後世のもので実際に葬られた場所は不明である
0
昼食の会下山公園 湊川隋道沿いを行く
0
福原京
当時を偲ぶものは
雪御所町という町名と湊川小学校にある 雪の御所跡 の石碑ぐらいです。
0
皇居にあてがわれた清盛の別邸があったといわれる平野の有馬街道界隈、道路整備のための発掘で、当時の遺構の一部が見つかった。
祇園神社から福原京を望む
福原京は、急な遷都で宮殿などの施設が整わずまた海と山とが近く、平安京のような都を築くのには狭すぎた。また、高倉上皇が病に倒れたことで貴族たちの反発も強く、各地で反乱も起こったことなどもあり清盛はやむなく都をわずか五ケ月で、もとの京都にもどした。
0
ゴールの湊川神社では水戸の黄門さん楠正成が出迎えてくれました。
0


0


0