シリーズ源平を歩く〔F〕



神戸電鉄・樫山駅すぐの路線を跨ぐ歩道橋を越えた山ノ神社で義経関連史跡を
講師の
野村貴郎先生(武庫川女子大学教授)から説明を聞き、さァ 出発・・・
山ノ神社には、樫山を歌った 野口雨情 の歌碑がある。
歌詞には本日の予定の腰掛石や弁慶重石・亀井
淵が、すでに含まれている。
野口雨情は
青い目の人形赤い靴七つの子船頭小唄・等々の作詞で知られている。
ここをクリック
0  
義経の腰掛石
神戸電鉄樫山駅の西方にある巨石です。
源平合戦の頃、三草の合戦を終えた源義経は、一ノ谷へ向かう途中、樫山にやって来たとのことです。
そして、この石の上に腰を掛け、ひと休みしたとのことです。
0

弁慶の重ね石
県道加古川小野線脇の台地中腹部に位置し、説明の標柱のところから丘陵を上がっていくと三個の巨石が重なってあります。源平合戦の頃(平安時代末期)、一ノ谷へ向かう途中の源義経一行は、樫山でひと休みしました。とても空腹だったので、近くのおばあさんに食べ物をわけてほしいと頼んだところ、おばあさんは「こんなものでよければ」とハッタイ粉(麦をいぶして作った粉)を差し出しました。
さっそく食べてみると、とてもおいしかったので、一行はお腹一杯食べたそうです。
この巨石は、満腹になった弁慶が投げて積んだものとされています
0

国位田碑
樫山町公民館南側の薬師堂脇に立っている石碑です。この石碑には『 國  位  源御守護神  御免地 』と記されています。
一ノ谷へ向かう途中、樫山で休んだ源義経一行は、付近に住むおばあさんからハッタイ粉を食べさせてもらい、一ノ谷の合戦に勝利することができたそうです。義経はお礼として六畝歩の田と永代に渡る年貢の免除を与えたとのことです。 
この付近にその田があり、年貢の免除は明治9年まで続いたそうです
0

亀井が淵
粉喰坂の登り口から丘陵に沿って南へ100m水田のほうに行くと湧き水があります。この湧き水は当地にやってきた源義経の家臣の亀井六郎という弓の名手が山麓めがけて矢を放ったところ不思議なことに岩間より湧き出したとされています。この湧き水で喉を潤した義経一行は一ノ谷へ出陣したと伝えられ、その後、この話は謡曲「清房」にもとり入れられています。

0

粉喰坂
樫山町から三木市鳥町へ通じる坂道です。源平合戦のとき、平家追討の命を受けた源義経は、三草山より一ノ谷へ向かうためこの坂にさしかかりました。行き会った老女に道を問い、空腹のため食べ物を乞うたそうです。老女は麦をいぶして作ったハッタイ粉を差し出しました。義経らはその粉で腹を満たし、近くの湧き水で喉を潤し坂道を登って行きました。
以後、この坂を「粉喰坂」と呼ぶようになったと伝えられています。