発願
いにしえから三十三ヶ所の観音霊場を巡礼すれば、罪は清められ、苦しみや悩みから救われ極楽浄土で往生できると伝えられてきたが、
まさかそんなことくらいで簡単に十萬億土の彼方にある浄土へ行けるとは思えない。その気になれば゛現代の完備した道路を車で3泊4日もあれば満願成就・極楽往生はたやすいことだ。かと云って車を使わず歩いてみても同じことだろうけど・・・まずは始めてみよう。
めざすものが有ると云う幸せと、汗を流して辿り着き、み仏の前で掌を合わせた時の満足感・爽快感を何よりのご利益と受止め、
加えて私達よりほんの少し(数十年)だけ早く逝ってしまわれた知人・縁者の方々の供養のためにも頑張ってみよう。
もしかすれば、十萬億土の遠くではなく、わたくし自身の心の中にあるのかも知れない浄土をめざして・・・・・・合掌
                   
平成六年五月十四日


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歩き終わった記録
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1 1994.05.14 . 大阪北区の自宅⇒四天王寺⇒(5)藤井寺 24`
2 1994.06.11 . 藤井寺⇒道明寺⇒法隆寺 17`
3 1994.10.09 . 法隆寺⇒西ノ京⇒奈良・(9)南円堂 17`
4 1994.11.23 . Hの続き・醍醐⇒(11)上醍醐(12)岩間寺(13)石山寺 16`
5 1994.12.04 . 大阪自宅⇒淀川河川敷⇒樟葉(三室戸寺に向かう) 25`
6 1994.12.17 . 樟葉⇒石清水八幡⇒伏見(三室戸寺に向かう) 18`
7 1995.03.26 . 伏見⇒観月橋⇒(10)三室戸寺⇒宇治 12`
8 1995.04.08 . (19)革堂(18)六角堂(17)六波羅蜜寺(16)清水寺 11`
9 1995.04.29 . Fの続き・宇治⇒醍醐⇒勧修寺⇒山科(番外)元慶寺 16`
10 1995.05.05 . Eの続き・伏見⇒御香宮⇒伏見稲荷⇒(15)今熊野⇒四条 15`
11 1995.09.09 . (勝尾寺へ向かう)大阪自宅⇒服部⇒箕面 19`
12 1995.09.24 . 箕面⇒外院⇒(23)勝尾寺⇒滝⇒阪急箕面駅  8`
13 1995.10.14 . 勝尾寺⇒泉原⇒茨木⇒(22)総持寺 20`
14 1995.10.28 . 泉原⇒忍頂寺⇒(21)穴太寺⇒JR亀岡 27`
15 1995.11.11 . (善峰寺へ)泉原⇒竜王山⇒摂津峡⇒神峰山寺 16`
16 1995.12.17 . 神峰山寺⇒ポンポン山⇒(20)善峰寺⇒東向日 19`
17 1996.01.02 . Kの続き・箕面⇒五月山⇒能勢口⇒(24)中山寺⇒宝塚 16`
18 1996.04.14 . Gの続き・京都⇒御陵⇒琵琶湖疏水⇒小関峠⇒(14)三井寺 15`
19 1996.05.04 . (長谷寺へ)奈良駅⇒山辺の道・長岳寺⇒桜井駅 34`
20 1996.05.18 . 山辺の道・長岳寺⇒龍王山⇒(8)長谷寺 16`
21 1996.09.15 . 桜井駅⇒耳成山⇒畝傍山⇒香久山⇒(7)岡寺・飛鳥 32`
22 1996.09.22 . 飛鳥⇒猿石⇒高取城跡⇒(6)壷坂寺⇒近鉄壷坂駅 16`
23 1996.09.29 . P回目の続き・宝塚⇒旧福知山線の廃線跡⇒武田尾 10`
24 1996.10.10 . 武田尾⇒下川ダム⇒道場⇒三田 21`
25 1996.11.10 . 三田⇒有馬富士⇒(番外)花山院⇒JR広野 16`
26 1996.10.27 . JR広野⇒立杭⇒(25)清水寺 19`
27 1996.11.23 . 清水寺⇒東条湖⇒社町・泊 21`
28 1996.11.24 . 社町⇒(26)一乗法華寺 20`
29 1996.12.22 . 一乗法華寺⇒姫路・泊 20`
30 1996.12.23 . 姫路⇒書写山(27)円教寺 12`
31 1997.01.02 . 26回目立杭の続き・立杭⇒篠山口⇒柏原 32`
32 1997.03.08 . 柏原⇒黒井⇒市島⇒丹波竹田⇒福知山 30`
33 1997.03.09 . 福知山⇒大江山⇒元伊勢 20`
34 1997.10.12 . 元伊勢⇒宮津⇒橋立・泊 20`
35 1997.10.13 . 橋立⇒(28)成相寺⇒橋立 6`
36 1997.11.12 . 宮津⇒由良川⇒西舞鶴 28`
37 1998.11.15 . 熊野街道の続き・大鳥神社⇒小栗街道⇒泉佐野 25`
38 1999.06.06 . 泉佐野⇒山中渓⇒紀伊 24`
39 1999.07.11 .. 紀伊⇒根来寺⇒(3)粉河寺 17`
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40 2008.11.11 36の続き 西舞鶴⇒東舞鶴⇒松尾寺(29)      20`
41 2008.12.11 海南⇒藤白神社⇒紀三井寺(2)⇒和歌山城    20`
42 2010.12.05 長命寺⇒JR近江八幡駅 13`
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大阪から熊野(1)青岸渡寺までは熊野古道と併用→ココ
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西国三十三観音霊場の興り

伝えられている所では、三十三観音霊場を選んで一般の人に巡拝を呼びかけた大和の長谷寺の徳道上人が718年に病にかかり生死をさまよった時に夢の中で閻魔大王に出会ったそうです。
そして閻魔様に「お前は未だ死ぬことを許さない。帰って三十三所の観音霊場があることを人々に知らせ、世の悩める人々を救いなさい。」と言われ、起請文と三十三の宝印を授けられたそうです。
しかし、当時の人々はこの話を余り信用しなかった為、上人はやむなく授かった宝印を摂津中山寺の石棺に納められたと伝えられています。

約270年後、それまで途絶えていた観音巡礼を再興されたのは『西国札所中興の祖』と呼ばれる花山法王でした。花山法王は17歳で第65代花山天皇となられますが.在位わずか2年で皇位を退き、寛和2年(986年)19歳の若さで法皇となられました。
その後、出家された花山法皇が三十三所観音霊場巡礼を発願され、姫路書写山の性空上人と共に摂津中山寺の石棺の三十三の宝印を捜し出されたそうです。
そして永延2年(988)3月17日、花山法皇は河内石川寺の仏眼上人や摂津中山寺の辨光上人や性空上人らとともに笈に納めた十一面観音像を背負われて紀州熊野那智山に向かって三十三所観音霊場巡礼再興の旅にでられたそうです。

最近では西国三十三札所ともよばれています。
札所とは花山天皇が西国33観音の第三番粉河寺に参詣されたおりに、歌を詠まれた一首を札に記し手向けられたのが御札の始まりと言われており.札所の語源も「札」を納める「所」からきているそうです。




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