2010年9月14〜16日

東北の五大名城を訪ねて
2泊3日の旅
山形県にやってまいりました
最上義光歴史館〜山形城跡〜山形市郷土館



山形城へ行くなら、最上義光を知らねば・・・と、いうことで
先ず、雑学の収集から始めます。

最上 義光(もがみ よしあき)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。出羽国の戦国大名・最上氏第11代当主で、出羽山形藩初代藩主。伊達政宗の伯父にあたります。関ヶ原の戦いにおいて東軍につき、最上家を57万石の大名に成長させて全盛期を築き上げました。


最上義光ほどイロイロ云われた人はいないようです。〔ニコニコ大百科〕より
羽州探題の名門ながらも衰退していた最上家を57万石まで繁栄させた・・・・・・・・・・・・・・ 「北天の巨星」
謀略・調略・説得と言った戦わずして勝つ道を駆使した・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「羽州の狐」
16歳の頃に200キロ近い大石を持ち上げた馬鹿力に定評のある・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「虎将」
山形の反映の基礎を築き、善政に務めて農民一揆を起こさなかった・・・・・・・・・・・・・・・・ 「仁君」
城下に桃山文化の花を咲かせ、細川幽斎に次ぐ戦国第二位の248句の連歌を残した・・・ 「文化人」

最上義光は、第10代当主・最上義守の長男として天文15年(1546年)1月1日に生まれ、15歳に元服し、
足利義輝の『義』の字を賜り義光と名乗ります。
義光の妹は義姫で、和睦のため伊達輝宗の妻となり、後に伊達政宗が生まれる事となるのです。

最上義光は下剋上のまかり通った戦国時代において甥らとも骨肉の争いを重ねた仁義無きサムライと言う
人がいますが、本当のところはどうだったのでしょう。その真偽の程は、計り知れませんが・・・
彼のの息子達は皆、悲惨な最後を遂げています
最上義康→家督を継げなかった上に暗殺
最上家親→家督を継いですぐに死ぬ
清水義親→童頼貞の娘の子で、大坂の陣の際に豊臣方への内通を疑われて最上家親に討たれる
上山義直→最上家改易後に切腹
大山隆→最上家改易後に切腹




最上義光歴史館





では最上義光の山形城跡へ・・・
山形城跡は霞城公園〔かじょうこうえん〕となっています。
次に訪れる福島県の二本松城は別名・霞ケ城、
ここは、霞城公園です。ややこしいネ



東大手門の中に入ってみましようか〜


山形市郷土館
明治に使用されていた洋風の県立病院で医学におおいに貢献したオーストラリア人の医師『ローレツ』博士のドイツ医学資料が展示されています。
この建物の特徴は三層楼からなる建物で、屋根はドーム型。ステンドグラスを使用した洋館の建物であるが、日本建築の匠を活かした擬洋風建築です。山形の宮大工の集団がたった7ヶ月で完成させた評価の高い建物。




山形県から福島県に場所を移します

二本松へお進み下さい